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エジプトは対岸の火事にあらず

エジプトでムバラク大統領が退陣しました。さて、どうみましょう。

翌日、日米大手メディアの論調の基本は「民主化のドミノふたたび」だったと見うけます。連日広場を埋めた人びとの熱はおおいに報じられたところ。チュニジアの例も含めて、SNSやツイッターも媒介にした水平的な人のつながりは印象的。民衆革命という側面はたしかに。軍評議会からの権限委譲をはじめ心配はありますが、アラブにおいても民主化の流れはとどめようがないと。

その半面、ちょっとした違和感も。

なじみの、同時にやや使い古された言い回しです、よどみなき歴史の趨勢としての民主化。一方にいまだ民主的な社会を手にしていない国や地域があり、他方にそれをすでに達成した社会がある。前者から後者への必然的な移行、というお話。

ふむ、必然?民主化未満と完成された民主社会?

違和感の正体をさぐってほんの少々の例をみてみましょう。独裁的だったというムバラク政権はアメリカをはじめ民主制諸国の支持をうけていたはずです。ムバラク政権についていえば三十年の長きにわたって、その独裁を民主主義陣営がいわば必要としてきたわけです。少々強面でも、中東地域の安定にはその方が好都合だったとは言い過ぎでしょうか。

仮にこの見立てに即すと、今回のエジプト政変を民主化というキーワードひとつで説明するのはうまくいきません。民主主義と独裁とは並存してきたのですから。問うべきは、その並存を許さないどんな変化が起きているのかでしょう。

冷戦の時代がいよいよ本格的に終わりつつあるのだ、とざっくり整理してみましょう。かつて、こう言えたのかもしれません。社会主義陣営をはじめさまざまな「敵」に対抗して少々のことは目をつむろう。経済的な豊かさがあれば、まぁうるさく騒ぐな。ところがおそらく、こうした言い回しが通用しなくなっているのです。

より純粋な民主化を人びとが求めているとみるのは少々楽観がすぎます。冷戦の終わりとともにあきらかになっているのは、民主化を達成していたはずの地域においても自らの進むべき道がわからなくなるという事態です。アメリカに久々に登場した夢と希望とかたる大統領オバマとその彼の思いがけない苦闘はひとつの現れです。ティーパーティー運動を単に反動的な保守派の世迷い言だと切り捨てると、あの運動の広がりや盛り上がりは理解できません。冷戦構造のちょうつがいがはずれるなかで、ここしばらく沈黙を強いられていた声にも出番がまわってきているのでしょう。民主化が飛び火しそうな地域は大変だなぁとひとごとで眺めている余裕はないのかもしれません。

いったいわれわれはどこに進むのか。羅針盤が心許ないのは日本も同じです。

不評きわまりないこのところの民主党政権。あれを手際の悪さのせいにすると大きな図柄を見落とします。冷戦期・高度経済成長期のお約束に忠実でいれば良かった時代が終わったときに自民党の長期政権もまた幕を下ろしたのでした。その後の物語をまだ誰も描ききれないのが日本の現状でしょう。名古屋・愛知での選挙結果に既成政党への不信をみるのは妥当ですが、圧勝した陣営の政策をみても、したり顔の批評家たちのコメントを聞いても、そこにビジョンは見あたりません。

二十世紀後半型のビジョンの賞味期限は切れています。新しい構想には、短くとも百年単位の射程がいるはず。そんなものが急に手に入れば苦労しませんが、視野をひろくねばり強く試みるしかないはずです。遠回りも含めてぼつぼつやろうじゃないですか。

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