« 医療保険論争にみるアメリカの宿業 | トップページ | アメリカ史学会年次大会 in 名古屋 »

禅寺で近代を考える:夏合宿

今年の学部ゼミ夏合宿はとある禅寺にお邪魔します。

「なんで寺なんすか」とゼミ生T君。そのココロは、「なんでまた寺なんぞという辛気くさく現代人に何の関係もないところに行くんすか。子どもの頃の修学旅行で寺見物には飽きました」といったところ。

その問い自体のなかにこの企画を試みる理由がある、と言っておきましょう。補助線として二点だけ。

1. 近代日本が忘れてしまった(?)心身技術
禅寺と来れば座禅。痛そう!どんだけマゾ?とお思いか。

このときわれわれを縛っているのは、からだに楽をさせるのが最善という身体観かもしれません。からだを調教してどうすんのと思うのかもしれません。けれどもこの身体イメージはいつでも通用するわけではありません。

よく考えてみると、健やかであるというのはなかなか難しい。「ボクは健康になる」といくらアタマが指令しても、細胞の状態を直接左右することはできない。心臓の動き方は調節できない。こころの平安を保つのは簡単じゃない。心と体をどうやって健やかに保つかはなかなかの難問です。

このことをすっかり忘れたあげくに、ふと気付いて大変だジョギングしなきゃ、納豆食べなきゃと右往左往しているのが現代日本かも。してみると、この大問題に長年向きあってきた人たちの知恵を体感してみる価値があるだろうと思います。エクササイズ(座禅)はもちろん、食事(精進料理)、環境(寺という場、お香でアロマ)までトータル・プロデュースでしょ。今だからこそ、勉強させてもらいましょう。

2. 伝統あるNPOとしてのお寺
お寺なんて年末年始と葬式の時だけで十分。これも思うところでしょうか。

高橋卓志『寺よ、変われ』によると、日本にあるお寺はコンビニの四万件の倍、八万なんだそうです。津々浦々にあるこの施設。この細やかなネットワークは、そもそもは人々の暮らしを生まれたときから死んだ後まで丁寧にサポートするためにつくられたもののはず。いろいろと問題も指摘されているようですが、真摯な試みをしているところも少なくないとか。「お寺なんて」と言われがちな今時に、「いや、実はお寺こそが」と頑張っているところがあるのなら、その取り組みの一端も拝見しましょう。

と、まぁそういうわけで、行って参ります。現代世界の見え方に歴史的な奥行きがちょっと増えると良いのですが。

|

« 医療保険論争にみるアメリカの宿業 | トップページ | アメリカ史学会年次大会 in 名古屋 »

松原」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/25562/46165919

この記事へのトラックバック一覧です: 禅寺で近代を考える:夏合宿:

« 医療保険論争にみるアメリカの宿業 | トップページ | アメリカ史学会年次大会 in 名古屋 »