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報告、「タウンミーティング!教育基本法」

昨年末の横国プロレス共催企画「タウンミーティング!教育基本法」についてひとことご報告。

イベントはひとまず成功だったと思います。法案は通ってしまいましたが、メディアホールを埋めた熱気はココロ強いものでした。

興奮したのは、集まった人の数だけでも、マスコミに報じられたからでもないと思います。

最大のポイントは、いまどきの政治的な働きかけがいつも自閉・孤立するわけではないと確かめられたことでした。

「運動」にまとわりつく(らしい)辛気くささをおちょくってみせながら、同時にぐっとたくさんの人との連携をつくりだせました。ほらこんな可能性が実際にあるでしょうと指し示せる事例を手にしたわけです。「あれおもしろかったね、ああいうのをうちでもやりたかった」とも学内外で言われました。楽しいひとときでした。

と、喜ぶ一方で、たくさんの課題にも気づかされました。

一撃でなにかを変えてしまうことは決してできないようです。

注目すべきは会場に足を運んだ人たちよりも、ビラを配る手を大回りでよけたり、払いのけたりした人たちです。どうやら「不穏」なのです、ビラ配り。なにやら「危険」なのです、政治的な発言。

考えてみれば、ごくありきたりの反応かもしれません。ぼく自身、場面が違えばビラ配りの前はよそ見して通り過ぎます。何を隠そう、教育基本法のことも気になり始めたのは十月になってからだったでしょうか。気になってからも、なにかしなきゃと思うまでにはさらに時間が。大学はいつしか「安全」であるのが普通の空間になったのです。いわんや学外をや。

しっかり授業をしよう、研究を世に問おうとあらためて思いました。遠回りのようでも、土壌をひろく深く耕しておかねば、一回のイベントが呼び起こせる反応などたかが知れてもいるのです。

それを思うと、楽しいイベントの危うさもまた要注意でしょうか。表層的な刺激にいつも頼っていると、肝心の急所をはずしかねません。苦くても効く薬を大事なときにはごくりと飲めるそんな習慣を養いたいところです。

一回のイベントよりも根っこが大事。そんなわけで(?)、横国ではつい先日には宴会「あとの祭り」を催して楽しみました。

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