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がんばれ保守本流

よく不思議に思うのですが、日本の「保守主義者」とはいったいどんな人たちなのでしょう。

かれらの少なくとも一部には自立した個人なのを自負する層がいるはずです。福祉だなんだと政府に頼るな。そんなことじゃあ結局社会の活力が失われるぞという立場。保守本流を誇るリベラリズムというやつです。ひとつの論理としてわかります。

不思議なのは、かれらの行動とこの論理とがとてもしばしば矛盾することです。たとえば、近頃の教育基本法「改正」案、共謀罪法案、国旗国歌の強制、それに憲法「改正」案といった一連の働きかけにかれらがどうやって賛成できるかです。これらはどれもかれらのプライドを真っ向から傷つける要素を持っているのですが、どうでしょう。

共謀罪法案を例に取りますか。この法案の核は、犯罪の予防という名目で国家に巨大な力を認めるところにあります。相談しただけで逮捕!というわけです。「良いじゃない、犯罪の予防なんだから」と言うのが早とちりなのは少しは知られてきたでしょうか。ことを未然に防ぐというのは実は膨大な努力を必要とします。可能性の芽を摘もうとガンバルほどに、「犯罪」と「犯罪じゃない」ものとの境界線はどんどんあいまいになっていきます。犯罪そのもの(つまりすでに実行された犯罪)は今の体制でもすでにチェックされるわけで、この法律の意義は「まだ犯罪じゃないかもしれないけどそのうち犯罪になるかも」を探知できるかどうかにかかってきます。それはつまり、「あんたそれ犯罪じゃない?」と念のために何にでも聞いてまわるのがとっても大事だと信じる人々の登場です。定義上、世の中に全然犯罪と無関係なものはあり得ないので、このかぎまわりの対象は無限にふくらんでいきます。これは相当にキモチ悪いとぼくは思います。

さて不思議なのは、この法案のキモチ悪さを保守本流のみなさんがどうも感じ取っていないところです。多分自分には関係ないと思うのでしょうね。いやあんた、何にでも程度ってもんがあるでしょ。あらゆるものを犯罪あつかいなんかしないよ。普通にまじめに暮らしていたら心配することなんかないじゃない、と。

めちゃくちゃ甘いです。その「普通」の範囲は誰が決めるのでしょう。それはアナタじゃなくて、この法律の施行を担う国家というやつです。

いやあんたね、とお返事いただけそうです。国家っちゅうのは、われわれ人々がつくるのよ。つまりわれわれがつくるのよ。だから普通の範囲もわれらが決めるでしょ。大丈夫よ、と。

ここにぼくの感じる不思議さの中心があります。気分は想像がつきます。でも、どうしてそこでアナタとお国とを一体だと思うのでしょう。自立したアナタとお国とがどうしてそんなにあっさり抱き合えちゃうの?そんなにべったりひっついても、活力とやらは生まれてくるの?アナタの信念の核心にあるはずの自立した個人はいったいどこへ?

がんばれ保守本流。ここは踏ん張りどころですよ。流されちゃダメ。まじめに応援しています。

追伸。こんなことを思うのは、近頃のアメリカでの「盗聴問題」や「秘密警察問題」を横目に見ているからでしょう。そのあたりのことはまたそのうち。

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